GLOBAL BUDDHIST CONGREGATION 2011「国際仏教会議 2011

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123日(土曜)

昨日よりもっと早く、4時半から有志でブッダガヤの大塔に向かう。もうすでに人が大勢集まっており、私は一人、大塔の周りを散策。廻りでは多くの人達、僧俗関係なく五体投地をありとあらゆる場所でしているのは、世界中の人達が、いかに真剣に仏教に向き合っているのかを目の当たりに見せられた思いである。私自身、まだまだ仏教についての修行が足りない事を痛感させられた。
 
ホテルに戻り、荷物を出して朝食を取る。7時15分サールナートに向け出発。最初はだいたい2時間と言っていたのが、だんだんと時間が経過していって、最終的にサールナートに到着したのは、11時25分。なんと倍の4時間。インドの国は大きいです。サールナート到着後、病院をしているお寺で食事をいただく。その後、吉村先生の解説を伺う。お釈迦様が悟りを開いた後、初めて説法をされたという初転法輪の地サールナートの遺跡群を見学、最初の説法をされた本堂跡にて、読経。
 
その横には、アショカ王の石柱もあり、遠くダメーク・ストゥ―パなどもあり、時間をかけて園内を散策する。ついでにサールナート考古学博物館にも入場して、正面では、アショカ王の円柱の上の3頭のライオン像も、また仏像では、最も価値があるといわれている「初転法輪像」を見ることが出来た。他にも2世紀から3世紀の仏像が多数出土しており、それらもまた、貴重な文化遺産として展示物されていた。
 
ベナレスに入って、ホテルにチェックイン。すごい立派なホテルだが、部屋に入って、同室の森本師がシャワーを使おうとしたら、これがすでに抜けていてどうにもならない。すぐにホテルの人に修理をお願いして、我々はガンジス河岸で行われる、さよならパーティーに向かう。
 
ベナレスの街は街路が複雑で、それが河岸に行けばそれがまた顕著になる。やっとの思いで会場に到着。まだ、我々の他、数人しか来ておらず、少し待ってから、食事。主催者側計らいで、インド舞踊、シタールの演奏など多彩な芸が披露され、私たちは十分に堪能させていただいたが、主催者側が挨拶する頃には、ほとんどの人が帰ってしまい、我々だけと関係者だけになってしまったのには、少し寂しい思いがした。バスがホテルに戻る途中、結婚式があったとかで、花火が上がり、20分以上も渋滞に巻き込まれるハプニングのおまけ付だった。

12月3日(土曜)4日(日曜)

3_10.jpg 12/3サールナート 3_8_1.jpg 3_8_3.jpg 3_8_4.jpg 3_5.jpg 3_6.jpg アショカミッション/ラマ住職・ダーマラタナ博士 3_7.jpg 3_8_2.jpg 4_8.jpg 12/4ガンジス河 4_7.jpg 4_3_1.png 4_3_2.png 4_2.jpg 4_1.jpg

124日(日曜)

 
朝4時15分起床。5時にロビーに集合して、ガンジス河に向かう。まだ暗い中、バスは船着き場から少し離れて止まる。そこら徒歩で船着き場に移動。船に乗り込む。私は衣に着替えて、今回の旅の目的の一つでもある、
この7月に亡くなった大学時代の同級生、前野君の遺灰を取り出し、日本から来られた皆さんの協力のお蔭で般若心経を唱えながら、前野君の希望通り、ガンジス河への散骨となった。水塔婆もガンジス河に流し、船はゆっくりと夜明けのガンジス河を昇っていく。
 
昇りゆく太陽、沐浴をする人々、亡くなり焼かれる遺体、すべてをこのベナレス、そしてガンジス河が受け入れてくれるようだ。御協力いただいた皆様には、本当に感謝あるのみです。ありがとうございました。
 
船から上がると、藤田さん、根本さん、今城さんの3人が、ガンジス河での沐浴に挑戦。朝日の中を見事成し遂げて、皆さんから大きな拍手を受けた。
 
ホテルに戻り、急いで朝食。ベナレスの街を離れて、空港に向かう。ベナレスの空港は、最近新しくなったばかりで、目を見張るばかりだ。でも昔の小さくて、煤けた感じの空港も好きだったかな。デリー空港に出発前に、柳下師の知人の旅行社をやっている人に頼んで、午後の時間を皆で過ごそうと言う話になって、デリー空港到着後、OKの返事を頂く。主催者側がつけてくれたガイドさんにお別れをして、新しい(?)バスに乗り込む。まずは中華料理店で腹ごしらえ、紅茶のお店に行ったり、お土産物屋さん、マッサージまで体験して、充実した時間を過ごすことが出来た。これも柳下師と友人のラメッシュさんのお蔭と感謝。
最後の最後に空港の近くのインド料理店でお別れ会を開催して、デリー国際空港に向かう。
 
コーディネートされた鈴木樹代子さん、本当にお疲れ様でした。
タイとミャンマーの国境付近に帰った井本師、彼は間違いなくナンバーワンのキャラクターでした。忘れていけないのは、別れ際、半べそだった通訳のキョウコちゃん、いつもバスの中で寝てました。でも本当は熱い沖縄の女の子です。訳のわからないフランス人、アランさん。いい味出してましたね。一部フランス人、ほとんど日本人みたいかな?
一番の喝さいを受けた根本師、最後はフラフラで、日本の税関で止められるというおまけまでついて、でも自死への思いは、すべての人々に伝わりました。そして物凄い拍手喝采でした。こうしていると、皆さんお一人、お一人の顔が浮かんできます。
 
皆様が元気で帰国し、それぞれの活動に戻られていることと思います。
これからも日本の仏教を元気にするためにお互い切磋琢磨、頑張りましょう。
 

天龍寺塔頭永明院 住職 國友憲昭 九拝