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 人間の基本的な苦しみ、生老病死これを四苦。そして愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦を足して八苦となり、人間は生きることに四苦八苦していると、いう事になります。
 その中でも愛別離苦、愛するものとの悲しい別れ、それも永遠の別れとなると、これほど辛く悲しいものはありません。
 お釈迦様は、人間の苦しみの原因はどこにあるのかという疑問に対して、バラモンの苦しい修行では何も得られず、ガヤ(現在のブッダガヤ)の菩提樹の下での瞑想によって、ついに悟りを得られました。
 日本語では四諦八正道と言って、苦諦:世界は苦しみで溢れている。集諦:苦しみの原因は煩悩にある。滅諦:煩悩を無くせば。道諦:道が開ける(八正道:正しく見る、正しい意欲、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい思い、正しい禅定)となります。

 苦しみの原因は煩悩にあるという事は、自分の中の我欲によって引き起こされているという事です。我欲とは自分が他の人より金持ちになりたい、他の人よりいい生活が送りたい、他の人よりいいものが着たい、他の人より大きな家に住みたい、といった欲望によって、自分自身が苛まれている事が分からないのです。
 人間は謙虚に生きなくてはなりません。それに人と自分を比較していいとか悪いとか決めてはいけません。それよりも自分が一生懸命努力する事によって、自分自身の活力を求め、自分はいいから他の人に道を譲るぐらいの気持ちがなければ、仏教のこころには到底届きません。そして、人はひとりでは決して生きていけません。お互いを思いやる気持ちが大切だという事です。

 私自身広告の勉強がしたくて、日本の大学卒業後、少し働いてから当時は広告の最高峰と言われておりましたアメリカに留学しました。大学卒業後、実地での勉強をする為に現地の広告会社に入社。アメリカではグリーンカードを取得して働く事が可能になるのですが、その間最低でも3年は国外に出られなくなります。そして晴れてグリーンカードを取得、やっと帰れることになりました。京都に戻って母から聞いたのは、最愛の祖母がその間に亡くなっていたことです。帰国できないし、心配するといけないので、連絡はしなかったとの事でしたが、目の前が真っ白になった事を覚えております。 

 私の父は両親共に小学5年で亡くしておりますので、祖父母は母方のみです。それを不憫に思ったのか、祖母は私達姉弟が幼かった頃から、休みの度に南紀串本の家に呼んでくれ、そこで過ごすのが当たり前のようになっておりました。
 祖母の家は呉服店を営んでおり、割に裕福でしたので、いつも私の希望を叶えてくれたのを覚えております。母の故郷串本は温暖な気候で、夏は海水浴、冬は魚釣りにと現地の子供達とよく遊びました。休みの度に会っていた祖母は、いつも身近な存在で、私にとってかけがいのない人でした。
 まさか、私の渡米中に祖母が亡くなるとは、思いもしませんでした。自分の事だけ考えて、祖母の葬儀にも出られず、自分は何をしているのだろうとさえ考えました。自分にとってかけがいのない、愛する人が亡くなる、こんな悲しい事はありません。

 今、母は祖母の亡くなった年を超えて94歳になっております。もう随分と細くなりましたが、生前の祖母にそっくりです。母の面倒はほとんど姉が見てくれていますが、日に何度かは母の顔を見て、祖母の分までもっと長生きしてくれたらと、私の出来る限りの事はやっており、体調管理に万全を尽くしております。
 母は元気な頃、祖母の手伝いによく串本まで行っておりました。姉もしばらく串本で生活していた時期もあります。もう今は呉服店も無くなり、祖母もいなくなりましたが、串本は私達姉弟の心のふるさとであり、幼少期を過ごした思い出の場所です。母を見ていて思うのですが、人間は、愛する人と永遠に会えなくなる日が必ずやって来ます。だからこそ、いつ会えなくなっても、決して後悔しないように自分自身、その人と共に生きていく事です。